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沿革

本堂   1229年(寛喜元年)頃…………………………………
道元禅師(どうげんぜんじ)が宋から帰国後、深草の安養院に閑居。(藤原氏ゆかり極楽寺の跡地と考えられる)
1233年(天福元年)……………………………………
道元禅師が深草に興聖寺を開創。観音導利院興聖宝林寺と号する。僧侶の教育・育生を目指す修行道場として全国最初に開かれる。このことから「曹洞宗初開道場」とは興聖寺のことを指す。
1645年(正保2年)………………………………………
淀藩主の永井尚政(ながいなおまさ)公が、深草の興聖寺を開創されて五代目の住職として、摂津住吉の臨南庵より万安英種(ばんなんえいじゅ)を中興開山に請じ、宇治に興聖寺を再興。
山号:仏徳山(ぶっとくざん)
開山:道元禅師
中興開山:万安英種禅師
開基:永井尚政
 
 
     
 
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本尊

本堂   本尊:釈迦牟尼佛(慶安3年)
木造、寄木造り。攝津の国、自笑庵にあったものを開基、永井尚政公が譲り受けたもの。寺伝では道元禅師の自作とされている。
     
 
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尊像

道元禅師 道元禅師坐像(老梅庵)
木造玉眼。道元禅師の弟子である詮慧が永興清舎に安泰したもの。廃絶に伴ってのちに建仁寺に遷されたものが、道元禅師五百忌の際に興聖寺に泰安したとされる。(寺伝による)
三面大黒天 三面大黒天(僧堂北側)
正面に大黒天、右面に毘沙門天、左面に弁才天の三つの顔をもつ大黒天。
永井尚政 永井尚政(天竺殿・非公開)
淀藩主であった尚政公は、伽藍建立後も新たに新田二百石と祠堂銀二十貫を寄進するなど、およそ20年にわたり興聖寺の禅道場としての運営を計った。その後、後水尾天皇の叡聞(えいぶん・天皇がお聞きになること)に達し、東福門院和子の御願いにより、「興聖寺中興縁起」一巻が寄せられ、朝廷からも正法を護り興隆する力添えを受ける。
文殊菩薩 文殊菩薩坐像(僧堂内)
木造、金銀泥文様。禅宗では僧堂に安置された文殊菩薩のことを『聖僧』とも言う。一般に聖僧様が鎮座している獅子は左に顔があるものが多いが、興聖寺は右側に顔があるが特徴。これは右側に道元禅師の木造を奉っているため、お尻をそちらに向けないためと言われている。
 
     
 
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伽藍

本堂  
本堂内部   僧堂
法堂(はっとう・慶安2年):伏見城の遺構で、鴬張りの廊下・血天井・杉戸絵などが特徴。現在は主に毎日のお勤めや法要・檀信徒の仏事を行う。
僧堂 参禅・喫飯・就寝等、修行僧の生活の基となる建物。東司(お手洗い)・浴司(お風呂)・僧堂の建物を三黙道場いう。
  老梅庵 当寺開山、道元禅師や歴代の住職を祀る建物。道元禅師が梅の花を好まれた事から『老梅庵』と名づけられている。
僧堂

    開山堂    
鐘楼   鐘楼   鎮守社   石門
天竺堂   鐘楼   鎮守社   石門
 
   
 
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年間行事

一月第二日曜日
大般若祈祷法要
  『大般若経』を転読し、その功徳をもって、
世界の平和や家内安全などを祈祷
     
五月
護持会総会
  皆さまのご先祖さまの落ち着きどころ、そして皆さまの心やすまる
場所として、お寺が末永く続くようにするため、総会を行います。
     
八月十六日
盂蘭盆法要
  無縁仏や三界万霊(この世に存在するあらゆる精霊)に施しをするとともに、先祖代々の供養をします。
     
九月二十八日
開山忌
  ご開山道元禅師の祥月命日に営む法会(ほうえ)。
     
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